昭和20~昭和24

年代(昭和) 人口(人) 村長 こ と が ら
20.10
(1945年)
  當山 正堅 《戦後》
収容所からの帰村準備命令が出て直に、代表者会議を開き(石川において)村の先遺隊長に津嘉山朝信氏、隊員には役場吏員を以って、組織し、主として各学校復旧に要する資材集めに主力を注いだ。
隊員
平安名盛光(前兼久)
当山正次郎(谷茶)
桑江良行(安富祖)
当真嗣福(南恩納)
佐久本嗣松(恩納)
池原清(恩納)
以上6名派遣される。
20.11/   先遺隊の仮事務所を山内盛吉宅に設置し、収容所からの受入準備作業に無償配給物資の取り扱い並びに、規格住宅の割当等で次の人員を増員する。
仲松弥篤(石川市役所より)。
給仕津嘉山テル子、配給物資責任者、新里全豊、係に仲村好盛、金城(伊波)初枝、又吉(伊波)光子。
規格住宅関係、津嘉山朝栄、仲村兼好。
21. 1/
(1946年)
  村民各収容所から引揚げ、割当資材による規格住宅建築及び農耕に励む。
21. 4/   津嘉山朝信 (イ)戦後初代村長に津嘉山朝信氏、米軍政府により辞令公布され、仮役場を南恩納(現在の山内盛文宅)に設置し、行政を開始するとともに13区行政区長を任命す。
(当時は村長の任命)
(ロ)村内各学校開校
(イ)戦前の村会議員を村政委員として、16名軍が任命する。村政委員は、村長の諮問機関のようなもので、従って議長は村長で委員からの正副議長はおかなかった。
村政委員佐渡山安香(安富祖)
当山豊八(恩納)
冨着信次郎(前兼久)
当山正度(谷茶)
喜納政徳(冨着)
仲西智繁(南恩納)
当真嗣善(恩納)
大城勝二(仲泊)
仲村好吉(名嘉真)
金城利吉(安富祖)
佐渡山安祐(南恩納)
名城仁福(山田)
長浜長蔵(真栄田)
新城正成(名嘉真)
吉山盛太(真栄田)
呉屋良善(山田)
21. 5/ 1   (ロ)字瀬良垣の太田部落と字恩納志喜根原を一つにして、太田行政区を新設。初代区長に当真嗣太氏就任。
21. 6/   役場を南恩納から字恩納地内に移転(大城保誠氏宅前の2501番地にトタン葺建物)。
恩納村農業組合成立し、(組合長、大城保光)事務所を役場敷地内に設置
22. 4/
(1947年)
  村予算成立、住民負担による行政がはじまる当時の現金収入といえば、薪販売による収入がそのほとんどで、これによって生活費及び公課に当てたものである。この薪は、我れ我れの先祖や諸先輩の方が丹精に育成し、大事に残した山(村有林)からの立木切出しによるもので、如何に山が人間生活にとって、極めて大事なものかを知る。
23. 1/
(1948年)
  沖縄の市町村制が公布される(軍政府指令26号)この公布によって役場が役所に名称替える。
23. 2/ 1   地籍測量始まり(地籍図、土地台帳戦災)24年に地籍図の作成終わる。
23. 2/ 1   一般投票により、村長選挙(公選)が実施され伊波得成氏当選、任期2年。
23. 2/ 8   市町村制公布に伴い村政委員は、村議会議員となり、その選挙、定数22名無投票で当選、任期2年。
島袋知長(名嘉真)
松崎賀仁(安富祖)
△当山豊八(恩納)
当山正次郎(谷茶)
仲宗根勝三(仲泊)
伊波栄吉(塩屋)
宮城寛好(名嘉真)
大城堅繁(瀬良垣)
大城保行(恩納)
仲村兼盛(冨着)
名城仁福(山田)
長浜真三郎(宇加地)
外間現正(喜瀬武原)
花城清一(太田)
○長嶺安心(南恩納)
山城義忠(前兼久)
呉屋良善(山田)
桑江良行(安富祖)
大城保助(恩納)
津嘉山朝信(南恩納)
大城勝二(仲泊)
金城永精(真栄田)
注=○議長 △副議長
23. 4/
(1949年)
  伊波 得成 教育基本法、学校教育法公布で、6.3.3制教育制度の実施に伴い、村内各学校に中学校併置。
24. 4/   恩納村で初めて、酒造所(代表者、玉那覇仁慶)が字恩納に開設され、醸造始まる。
24. 4/ 1   宇加地、塩屋部落が、字真栄田区より行政区として分離する。初代塩屋区長に大城三郎氏、宇加地区長、国吉真福氏がそれぞれ就任。
24 .5/   戦後初めて政府補助事業として、南恩納地内内之浦原に水門及び護岸工事が施工された。この事業は補助事業とはいいながらも、村予算を通すわけではないし、総ての業務は、あくまでも工務部金武事務所の所掌だったと記されている。この工事の竣工後、引続き南恩納地内下勢高(俗称ヤードヌチビ)北瀬高(俗称グータ)の海岸護岸工事が施工される。
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